28日にソルトレークシティを後にし、久しぶりにサンフランシスコに立ち寄った。28年前の1984年の3月から商社マンとしてサンフランシスコに半年間滞在していた。その後も1985年まで何度もサンフランシスコに出張した。当時は半導体のビジネスの創成期だった。ユニオン・スクエァにあったオフィスから車に乗り、シリコンバレーによく訪問した。当時私が働いていたビルはまだユニオン・スクエァに残っていたが、勤めていた会社はそのビルから移動しており、シリコンバレーにオフィスを構えているので、スタッフと会うことはできなかった。
当時よく訪れていたパウエル・ストリート沿いにあった「天ぷらハウス」という日本食のレストランも「MARU SUSHI」という名前に変わっており、オーナーも異なっていた。仕事が終わってから皆で良く飲みに行ったチャイナタウンの入り口近くにあったBarはスターバックスに姿を変えていた。何しろ四半世紀以上も前のことなのだから仕方ない。
今日(3月1日)はサンフランシスコの市内にあるファイナンシャル・ディストリクト(金融街)まで足を運んだ。当時たくさんあったS&Lは、もう存在していない。バンク・オブ・アメリカ、ウエルス・ファーゴ、バンク・オブ・ザ・ウエスト、チェースなどの大手銀行が立ち並ぶ。
ファイナンシャル・ディストリクトには、ウエルス・ファーゴの歴史博物館があるので、中に入ってアメリカの銀行の歴史を学んだ。ウエルス・ファーゴは1934年にClara Hellman Hellerという女性をアメリカの銀行で初めて役員にした先進的な銀行である。彼女は1934年から1959年まで役員を務めるわけであるが、当時はアメリカでも女性が会社の役員になることは非常に珍しいことだった。まして、保守的な銀行であれば尚更の事である。しかし、これには裏がある。彼女の父親であるHeller氏は1959年まで同銀行の社長だったこともあり、彼女はそのような強いコネクションから役員に抜擢されたとも言われている。ただ、彼女が役員になってから、他の銀行でも女性役員が誕生していることから、彼女の役員への登用はアメリカの銀行界に大きな影響力を及ぼしたものと考えられる。
ウエルス・ファーゴは1852年から1918年まで「The Stagecoach」と呼ばれる馬車で、ネブラスカ州とカリフォルニア州との間を顧客、金、郵便などを運んでいた。カリフォルニア・ゴールドラッシュが1849年ごろであるからその直後ということになる。同銀行は、1866年には2700頭の馬を有しており、アメリカ最大だったそうである。西部劇の映画に出てくるような馬車が博物館に展示されていた(写真はユニオン・スクエア周辺(左、真ん中の茶色の建物が1984年当時、私が働いていたビル)とファイナンシャル・ディストリクト)。
posted by マック at 09:11| 大阪

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